憶測と思い入れ [新譜]

結局、今思っていることがこの先も変わらないとは限らないのです。
そういう意味では、
後々まで残るブログというものに事実情報の足りない状態で
個人的評価の定まらない新譜の感想文を書くのって
実は凄く難しいことなんだなー
と、今更ながら思ったりして。
でもまぁ、一度書くと宣言しちゃいましたし
なんとなく作文が纏まったので昨日の今日でアップします。


13 / BLACK SABBATH / 2013
13~デラックス・エディション

13~デラックス・エディション

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル インターナショナル
  • 発売日: 2013/06/19
  • メディア: CD


DX版に付いたボーナスDiscの存在が、
僕の感想をいささかややこしいものにしています。
いずれにせよ総体としては大変良い出来だと思います。
…と、最初に前置きした上で。

他所に詳らかな通り、
Rick Rubinを始めとした制作陣が本作に要求したのは
「BLACK SABBATHらしさ」の追求でありました。
これは多分、的確なサジェスチョンだったのだと思います。
Rick Rubinが珍しくプロデューサーらしい発言をしたことに
大きな驚きを覚えはしますが(笑)。

でもなー…
それってわざわざ金科玉条の命題にするようなことだったのかしら?
という疑問は、どうしても僕の中に残ってしまいます。

Tony Iommiのマジカルなギターリフと
Geezer Butlerの手癖(断然褒め言葉ですよ)ベース、
この2つが鳴ってさえいれば、
それがどんな曲であってもそのアウトプットは唯一無二だし
そこにOzzyの声が乗っかれば
それはもうBLACK SABBATH以外の何者でもない訳で、
わざわざ「SABBATHらしさ」なんてものを
3人に意識させる必要があったのかどうか…。

実際のところ、Rick Rubinの個人的嗜好とロック山師としての勘が
「“Master of Reality”までのBLACK SABBATHを顕現すべし!」
と本作の路線を規定しただけであって、
「メタルなんて音楽が存在しなかった頃の…」
という言葉は体のいいエクスキューズでしかなかったんじゃないかなぁ。

しかし結果として英米両国のチャートで見事にトップを飾った訳ですから
Rick Rubinの、長嶋茂雄的(?)カンピュータは
未だ衰え知らずということなんでしょうね。
してやったりだよな、ホント。

一方、「SABBATHらしさ」というお題を出された3人は
真っ正直にそれを受け止めてしまった。
特にTony Iommiは考えて考えて、考え抜いちゃったんだと思います。
病気のこともあって、そういう時間が多く取れたのは
果たして良かったのか悪かったのか。

で、アルバム本編の8曲中5曲が7分越えという事態になってしまった。

恐らくレコーディングの長期化がジャムセッションの機会を増やし、
「SABBATHらしさ」というものに拘った3人に
曲を捏ね繰りまわす余計な時間を与えてしまったのではないか、
というのが僕の推測です。

誤解があるといけないので付記しますが、
別に長尺曲が悪いってことではないのです。
ズルズルからズコズコ(リズムの話ね)へゆるゆると展開していくのは
まさにBLACK SABBATHの真骨頂であり、
僕を含めた聴き手の多くが期待するところですから。

ただ、本作の長尺曲はどれもこれも編曲に時間を掛け過ぎた感があって、
なんだか理屈っぽく聴こえてしまうのは僕だけでしょうか?
少なくとも伊藤政則が解説に記した「スポンタニアス」な雰囲気は
どうしても感じられないんだよなぁ。

実は制作方が拘るべきはもっと他の部分にあって、
例えば録音技術の進歩と充分な予算によって
各パートが恐ろしくクリアに分離・整理されたサウンドをどうするか?
なんていうところに目(耳)を向けていれば…。
中低域がゴチャっとして何を演ってるのかいまいち判然としないけれど
とにかく音の塊が肉体を直接刺激するような、
そんなローファイな音作りというのも「BLACK SABBATHらしさ」の
重要なファクターだと思うのですよ、僕は。

まぁ、本作に聴かれるダイナミクスに富んだサウンドは
現代のロックアルバムとして大変素晴らしいものであることに間違いはなく、
これに文句付けちゃうのは、それは違うというのは
自分でも分かっちゃいるのです。

さて。
「らしさ」を追求する余りスポイルされた無意識衝動の話に戻ります。
これは、Tony IommiもGeezer Butlerも実は自覚しているんじゃないかなぁ。
それを埋めるために追加されたのがボーナスDiscの3曲
(本編Discの9曲目を加えた4曲としても可)なのではないでしょうか。

本編で突き詰めた「SABBATHらしさ(但し3rdまで)」という命題に捕らわれず、
初期衝動の赴くまま、という段階で取り敢えず録音しちゃった感アリアリの
これ等の楽曲は単なるオマケと切り捨てるには余りにもナマナマしく、
また今と言う時代にあって新たな創作に向かったBLACK SABBATHの姿を
見事に顕しているとは言えますまいか。
生来天邪鬼の僕はこのDisc2にこそ、
バンドのミュージシャンシップを強く感じたのです。

いや、“Time Machine”をOzzyに歌わせたらこうなっちゃったとしか思えない
本編9曲目はさすがに日本盤ボーナストラックの域を出ないか(笑)。


今日のエントリーは、ここから更にひとくさり続きますよ。


“Reunion”というアルバムがあります。
なんやかんやゴタゴタした末、'97年のステージを捉えたライブ盤です。
それのDisc2のお尻に、当時書かれた2曲がスタジオ録音されています。
“Psycho Man”と“Selling My Soul”ですね。
今まで割と無視されがちだったこの2曲、
かく言う僕も“Psycho Man”のサビメロくらいしか覚えていなくて
今般改めて聴き直してみたのです。

超名曲!と褒めそやすつもりは毛頭ありませんが、
この2曲が当時の、リアルタイムのBLACK SABBATHであったとするならば
そこから地続きで繋がっているのは“13”本編ではなく、
やはりボーナスDiscの方であると思います。

それぞれが別の道を辿って(途中くっついたり離れたりしつつ)、
漸く皆が同じ道に戻った時に
別の道を歩んだ期間を無かったことには出来んのです。
“13”本編における制作陣の方向付けは、
そうした意味でやっぱり無理があった。

-然るに。
それぞれのキャリアを踏まえて
現在のバンドの姿をありのままさらけ出したボーナスDisc、
その延長上に少なくとももう1枚アルバムが必要である。
それがあって初めて“13”の正確な立ち位置が判明する。
…と、これが僕の結論です。

勿論“13”本編がBLACK SABBATHの復活作に相応しい、
力の入ったアルバムであることに疑問の余地はありません。
しかし3人共、いい加減押しも押されぬ大御所なんだから
セルフプロデュースで好きな事やりゃ良かったんですよ。

とにかく皆が元気なうちに、なるべく早くもう1枚録音して欲しいです。
少なくともOzzyはやる気みたいだし。


…落ちてる感は皆無の作文でしたね、やっぱり(苦笑)。
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