四十肩にはならねども [故人を悼む]

か た が イ テ ェ ! …これが噂の五十肩ってヤツか。
どうやら既に慢性期に入ったようで、中途半端な鈍痛が非常にイラつくのだ。
利き手のほうの肩だけってのがこれまた微妙で、
あーもう、なんかこう、なんとかならんもんかねコレは。
しかし歳をとるってのはこういうことなんだよなぁ、と
ちょっとしみじみしたりもして。





うひょ~、こりゃモロにTony Martinが歌ってた頃のSABBATHを彷彿とさせるじゃないか!
っつってほくそ笑んだのはつい最近、去年終わりことでしたが…。



このバンドに劇的な要素を持ち込んだのは勿論Ronnie James Dioその人ですが、
控え目に主張する鍵盤も必要欠くべからざる要素であったと小さな声で断言しておきます。



このショボ面子(失礼)でBLACK SABBATHの看板をキープ出来たのも
9分9厘Tony Iommiがその役割を担った訳ですが、
残りの1厘はGeoff Nichollsのお陰であったと思うんですよ僕は。



Tony Iommiプロデュースによる本作のリリースは'77年。
丁度40年前のことになります。
その後SABBATH関連以外の仕事は殆ど記録されておらず、
非常に忠誠心の高い人だったんではないですかねぇ。



これの作曲を手伝ったというのがせいぜいで
(実際に鍵盤を弾いてるのはDon Aireyだし)、
上掲QUARTZデビュー作のレコーディングセッションには
Brian Mayが参加していた(レコードには未収録)という事実もあって、
なかなかに付き合いの狭い感じは非常に親近感の湧くところです。

Geoff Nicholls。2017年1月28日、肺がんによって68歳で死去。
-合掌。



John Wettonについては…僕が書かんでも他でみんな書くでしょ。
勿論僕にとっても非常に思い入れの深いミュージシャンではありますが、
長々と作文したところで僕らしい切り口にはならない気がするのです。



“Rock Puzzle”('79)のリリース後、
Andre BalzerやChristian Beyaの脱退によりバンド崩壊に陥ったATOLLの残党が
John Wettonとセッションしたのは'80年頃のことだったようです。
見事なASIAのプロトタイプであります。
3曲のデモが“Rock Puzzle”の再発盤にボーナスとして収録されています。

元々はATOLL側がバンド建て直しのために仏ツアー中だったUKのWettonに
次作のプロデュースを依頼したってことらしいのですが、
結果としてその次作がリリースされることはなくそのままバンド解散、
一方のJohn Wettonはこのセッションで得たアイディアをASIAに持ち込んで
空前の成功を収めることになったという訳です。

まぁなんつうか…ほら、やっぱり微妙な話になっちゃった(苦笑)。
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